◆BACK NUMBER
第1回
・あしかがフラワーパーク
第2回
・鶏足寺
・松田川ダムと松田の蛍
・巨石群と名草の蛍
第3回
・足利の花火
第4回
・鑁阿寺(ばんなじ)
第5回
・足利市立美術館
第6回
・逆さ川
・法玄寺
・法楽寺
・心通院
第7回
・行道山 浄因寺
第8回
・大岩毘沙門天
(最勝寺)
第9回
・徳正寺
第10回
・樺崎八幡宮
第11回
・浅間神社の初山祭
第12回
・草雲美術館
第13回
・八幡八幡宮
第14回
・大原神社
・大手神社
第15回
・松村記念館
第16回
・栗田美術館
第17回
・平石八幡宮
・節分鎧年越
第18回
・例幣使街道
・八木宿と八木節
第19回
・薬師寺
寺岡元三大師
第20回
・西渓園
第21回
・アンタレス
第22回
・八雲神社
第23回
・徳蔵寺
第24回
・手打ち そば処
一 笑
第25回
・閻魔大王大祭
第26回
・あしかが
ハーヴェストプレース
第27回
・山前公園
第28回
・仙人ヶ岳
第29回
・湯殿山
第30回
・吉祥寺
第31回
・雷電神社
第32回
・八幡屋
第33回
・示現神社
第34回
・板倉神社の神迎祭
足利 いろいろ 紹介
 第2回 鶏足寺・松田川ダムと松田の蛍・巨石群と名草の蛍 の紹介 
 まずは、平将門にゆかりのある「鶏足寺」を紹介しよう。

 平将門って、誰?―と、首を横にされる方もおられると思うので、簡単な紹介をしよう。
 平将門は、?〜940(?〜天慶3年)平安中期の武将。桓武天皇の曽孫平高望の孫,
鎮守府将軍良持(良将)の子。下総国豊田・猿島西郡を根拠とした。
 父の死後,一族と紛争が生じて,935年(承平5年)伯父国香を殺し、さらに常陸・上野の国府を占領、自ら新皇と称して政府に反抗。
 しかし、藤原秀郷によって、下総国猿島郡北山の合戦で滅ぼされた。
 この時、将門の体はバラバラになり、各地に落ちたといわれている。
 足利には、胴体が落ちたという大原神社・手が落ちたという大手神社がある。

 さて、本題の鶏足寺は、809年(大同4年)、定恵上人によって開創された名刹で、真言密教の大本山で、初めの寺名を世尊寺といい、天慶の乱(939〜940)の際、平 将門を調伏したことから勅命により鶏足寺と改めた。 ※因みに今年の干支は、酉!!
 国指定の重要文化財「力王の太刀」「鶏足寺の印」のほか、数々の文化財が残されている。
 この鶏足寺には、以下のような伝説がある。
鶏 足 寺 の 伝 説
 平将門が朝廷に背き乱を起こしたのが天慶2年のこと。
 翌年、藤原秀郷が天皇の命によって将門と戦います。
 このとき世尊寺の法印は秀郷の勝利を祈願し、法力で将門を倒すように命じられ、土でつくった将門の首を供えて連日連夜祈り続けました。
ところが8日目、法印はとうとう眠ってしまいました。すると夢の中で、3本足の鶏が血まみれの将門の首を踏みつけているではありませんか。
法印が鶏の笑い声でハッと目を覚ますと、土像の首には鶏の足跡が3つ、はっきりと付いていました。
 そして、17日目の満月の日、秀郷が将門を討ち取りました。
 世尊寺は、このことから『鶏足寺』となりました。
※足利市公式ホームページ 〜足利の観光情報より引用〜
鶏足寺 参道鶏足寺 本堂

◆◇◆◇◆ 鶏足寺データ ◆◇◆◇◆
◆所在地 足利市小俣町2748 (静かなよい所であるよ!)
◆電 話 0284−62−0276
◆駐車場 寺域に6台
◆アクセス JR足利駅・東武足利市駅から11キロメートル 車で25分
JR小俣駅から1.7キロメートル 車で5分、徒歩25分
市生活路線バス(やまなみ号) 鶏足寺前下車   徒歩3分

※足利市公式ウェブサイトよりデータ引用

 次は、「松田川ダムと松田の蛍」を紹介しよう。
松田川ダム
 松田川ダムは、鶏足寺から県道218号線を北上、猪子トンネルを抜けると、県道219号線と交差する。この交差点を左折し、県道219号線を北上。途中、右手に「花勢」という花屋さんがある。ここまで来れば、道に迷う事はまずないと思う。まもなく松田川ダムである。

 この松田川ダム周辺は、ふれあい広場として、バーベキュー場・オートキャンプ場がある。ダムを背景に川遊びもできる。(着替えを用意!!)
 ご利用希望の方は、当方HPのLINK 「足利市公式ウェブサイト」 からどうぞ。

 松田の蛍は、松田川ダムから県道219号線を南下、交差点を過ぎ、T字路を月谷町方面へ左折、馬打橋を渡る。駐車場はこの少し先にある。駐車場から馬打橋方面へ歩き、少し手前で右折。これより先は、歩行者専用道路である。まもなく、紹介の松田の蛍が見られる。駐車場から松田の蛍までは、約15分ぐらい歩くだろうか。

 この松田の蛍の現地には、楽しみが2つある。
 ひとつは、坂西エコミュージアム 第2回 松田北のホタルファンタジーが開催されることだ。照明が少ないホタルの特性を生かした開催である。また、その照明が風流で心を魅了する。売店もある。個人的には、焼きまんじゅうが好きだ。当方、去年、鑑賞させていただいたが、今年は、いろいろ事情で鑑賞できずに終わり・・・残念!!鬼が笑うかもしれないが来年に期待する。

 もうひとつは、昼間見る山里ののどかな風景だ。
 こののどかな風景は、子供の頃にタイムスリップしてきたかのような懐かしい気持ちになり、心なごむ。ホタルの鑑賞もよいが、こちらもまたよい。当方で、云々語るよりご自身の目で見ていただきたい。

 最後に「巨石群と名草の蛍」を紹介しよう。
厳島神社(別名・名草弁天)の社殿
 先のT字路を右折、県道219号線を北上、交差点まで戻り、藤坂峠方面に右折、藤坂峠を下る。最初のT字路を左折。ここまで来れば、道に迷う事はまずないと思う。後は、道を直進あるのみ。ゴールが、国の天然記念物「名草巨石群」の駐車場だ。
 近くには釣堀もあり、太陽が一番元気な季節は、家族連れが多い。また、当方、昔々、生から炭火で焼いたとうもろこしを食したことがある。美味であった。

 杉林のゆるやかな坂道を登ると巨石の上に建てられた厳島神社(別名・名草弁天)の社殿がある。社殿前にあるのが、かの有名な胎内くぐり弁慶の割石である。

 胎内くぐりは、御供石(おそなえいし)で、高さ約11m、周囲約30mという、何とも巨大な石である。この御供石の下に洞穴があり、これをくぐりぬける事を胎内くぐりといい、子供の無い方は子宝に恵まれ、妊婦の方は、お産がたいへん軽くすむといわれている。洞穴なので、足を滑らせぬよう注意したい。

 社殿手前にある宝之泉の池の中に三角形を頂点からまっぷたつに割ったような形の石が鎮座している。これが、かの弁慶が、石の上に仁王立ちになり、手刀で割ったという伝えが残る弁慶の割石である。この割れ目の凄さが弁慶の怪力を物語る。同じ三角形の頂点でもおにぎりなら当方の怪力?でも割れる。(弁慶殿、失敬!)

 社殿横の朱塗りの橋を渡ると、奥の院である。石割楓・御船石・葛籠石つづらいし・鼓石という巨岩、奇石が重なりあう姿を現す。その下を岩清水が流れている。
 森の中の巨石たちの見事な姿をぜひとも見ていただきたい。

 足利市公式ホームページ「足利の観光情報 名草巨石群」によると、この辺は大昔、水成岩の地層ができていたところへ地下からマグマが盛上がり、推定10万年以上の年月がかかって次第に固まり、現在のような『かこう岩』地帯になったといわれています。  『かこう岩』特有の風化現象を示す代表的なものとして、昭和14年、国の天然記念物に指定されました。

 「名草の蛍」は、平成元年、環境庁の「ふるさといきものの里」に認定され、同年、
第1回「名草ホタル祭り」が開催された「名草ホタルの里」で鑑賞できる。

 「名草ホタルの里」は、巨石群からは最初のT字路まで戻り、左折。
 その道なりの名草川沿いにホタルを鑑賞できる。また、ホタルが舞う池の周りにはアヤメが咲き、多くの人で賑わう。乱舞のピークは午後8時〜9時頃で、蒸し暑く雨の降らない夜に多く見られる。
 名草ホタル祭りなど詳しく知りたい方は、当方HPのLINK 「足利市公式ウェブサイト」 からどうぞ。(お祭り期間終了の場合は、悪しからず!)
名草川胎内くぐり・洞穴弁慶の割石
☆2005年6月27日 第2回紹介 「鶏足寺・松田川ダムと松田の蛍・巨石群と名草の蛍」

←BACK! ログアウト! NEXT!→